元ランナーの心サルコイドーシス難病闘病生活

元ランナーの心臓病闘病記録

救急搬送

2020年11月23日(月)勤労感謝の日救急搬送された。

この日は岩手県で毎年開催されている一関・盛岡間駅伝競走大会(日報駅伝)の開催日。

 

岩手県ランナー界にとって最大のイベント言っても過言ではない。

 

私も毎年出場させて頂いていて、今回で13回目の出走をする予定だった…。

 

当日の朝、いつも通りの朝5時に起床。

朝食の「どら焼き」を食べ、ユニフォームなど完璧に準備をし、後輩の車で移動。

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私は最終区(11区)を走る予定で12時前後のスタート予定だった為、前半区間を走るチームメイトの応援をしてから、スタート地点へと移動した。この間、何も体に異変は無く、いつも通りだった。

 

今大会、チームのキャプテンだった事もあり、何としても過去最高順位を獲りたい。最終区の私の所で多少遅れてきても、絶対逆転したいという並々ならぬ気持ちだった。

プレッシャーを感じていたかもしれないが、今までの競技人生で何度も経験して来たことだ。

 

スタート地点に到着し、一緒に走るライバル達と調子の探り合い…。これもいつも通り。

そしてウォーミングアップに向かった。

 

ウォーミングアップも特に体調の変わった事もなく、むしろ調子が良いように感じていた。

 

陣地に戻ろうと歩いている時、体に異変が‼︎

 

一瞬の目眩。気のせいだと思いながら、そのまま歩いて陣地へ。

陣地に到着すると、立っていられないほどの目眩に襲われて、座り込む。

目眩、冷や汗、動悸、痺れ、体が動かない、自分の体で何が起こっているのか分からなかった。

 

この時、まだ体調が良くなると信じて走る希望は捨てていなかった。

駅伝で襷が途絶えるなんて、絶対あってはならない事。

走った後なら自分がどうなっても良い、チームの為にも這いつくばってでも走りたい気持ちでした。

 

しかし10分程(時間はハッキリ覚えていない)休んでも、どんどん体調は悪化していった。

そっからはもうほとんど覚えていない。意識消失したようだ。チームメイトが救急車手配。

 

微かに記憶にあるのが、チームメイトの私を呼ぶ声と、救急隊員の叫ぶ声でした。

 

そして意識消失したまま、近くの大学病院に救急搬送された。

 

次回に続く。