元ランナーの心サルコイドーシス難病闘病生活

元ランナーの心臓病闘病記録

病名発覚

入院生活が約1ヶ月半経過し、リハビリの効果か70%~80%程体力回復してきた感じ。

 

「心臓電気生理学検査」で心肺停止となり、心臓に異常がある事が解ったが、病名が解っていない為、エコーやPET検査の画像検査を引続き行った。

 

そしてPET検査で異常ありの結果が…

画像を確認すると心臓部が真っ赤(通常は赤くならない)になっていた。

 

そして医師から病状説明。

「心サルコイドーシス」という病気です。

https://medicalnote.jp/contents/160830-001-WZ

 

サ、サル??サルコイドーシス???

全く聞いた事のない病気だった。

色々聞いていくと難病指定されている病気で10万人に2~3人が発症するらしい…。

それは聞いた事のないはずだ…

運の悪い宝くじを当てた気分。

 

そして国指定の難病に指定されている病気のようだ。

それを聞いた時は死を覚悟した。

 

医師からはこのまま放置していくと、いつ突然死するか分からない、危険な状況だから、引続き入院治療が必要と説明があった。

 

ここから本格的に闘病生活を送ることとなった。

検査

原因不明の心室細動により突如倒れた為、原因を調べる為に入院リハビリしながら、いくつもの検査が続いた。

 

まず『心筋生検』という検査を実施。

※心臓の筋肉組織の一部を採取して、筋肉細胞や細い血管に異常がないかを顕微鏡で調べる検査

結果、これでは異常は見つからなかった。

 

 

次に『運動負荷心電図』という検査を実施。

※運動負荷心電図は、運動により心筋の酸素需要を増大させて虚血状態を誘発し、不整脈の出現を観察。

 

やっと歩けるようになった状態から、運動による心臓に負荷をかける為、走って心拍数をあげた。まじでキツイ…。倒れるかと思ったが、これでも不整脈は誘発されず、今までのマラソンでの激しい運動は心臓病に影響していない事がわかった。

結果、原因はわからなかった…。

 

 

次に『心臓電気生理学検査』という検査を実施した。

※心臓に電気的刺激を与え、心臓の状態を検査

 

この検査で事件が起きてしまった。

検査中に心臓に刺激が入り、再び心室細動が誘発され、意識消失、そして心肺停止…。

息が出来ない、意識が遠のく、今までの人生で経験した事ないとてつもない苦しみだった。

目覚めると、また体に大きな火傷(AEDの使用跡)が出来ていた。

 

これにより心臓に何らかの異常がある事が判明。

 

この時医師から長期入院になる事と、今までのようにマラソンを続ける事が出来ない事も同時に告げられた。

 

 

まさか自分がこんな形で競技を引退するなんて思ってもいなかった為、ショックが大きかった。

 

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せめて日報駅伝をもう1回走ってチームへ恩返しして、笑顔で終わりたかった…。

 

この時は自分の精神状態もどん底

 

原因究明に向け入院、リハビリ、検査という長いトンネルがまだまだ続いた。

リハビリ開始

集中治療室で意識が戻ってから、動けない、喋れない状態が続いていた。

 

2日経過した頃、主治医の先生が来て「人工呼吸器を外しましょう」と話しかけてきた。

 

耳はしっかり機能していた為、少し不安たが、素直に受け止める事しかできない。

今まで味わった事と無いような苦しみ(肺に手を入れられて抜き出すような感じ)に耐えながら、無事に人工呼吸器が外れた。

 

その後、数十本の管は体に繋がれたままだったが、4日目あたりでようやっと少し声が出るようになり、5日目には集中治療室から一般病棟に移る事が出来た。

 

一般病棟では1週間程ベット上安静で生活。そしてリハビリが始まった。

 

最初は立ち上がる事すら目眩がして出来なかったが、理学療法士さんに助けられ、少しづつ歩けるようにもなり、一般病棟に移り2週間程経過した頃には普通に歩けるくらいまで回復。

 

過酷なリハビリだったかもしれないが、ランナーとして練習を追い込んできた私にはそこまで苦では無かった。

 

約2週間全く動かないだけで、体の衰えがとにかく凄かった。やはり動く事は大事。

 

回復傾向だが心臓発作で倒れた原因が分かっていない為、ここからリハビリ、検査で約1ヶ月入院する事となる…。

 

ちなに体重は5kgも減少。もともと痩せ型の私は骸骨のようになっていた。

 

 

次回に続く

 

 

 

 

 

 

 

意識回復

意識消失→救急搬送、そして数日後、意識が戻った。

 

目覚めたのは11月26日(木)AM10時頃。倒れた11月23日(月)から約3日が経過していた。

 

目覚めると医師、看護師さんらが結構な人数でと声をかけてきた。

声も上手く出ない状況だった為、とりあえず頷く。

 

体には首、手、足の付け根、足先に数十本の管がつながっていて、人工呼吸器も装着されていた。

また体には大きな火傷のような後があり、AED (自動体外徐細動機)の使用跡だった。

AEDって?|AEDの基本情報|AEDライフ by 日本光電

 

それを見て一瞬で大変な事をしてしまった、なったと思った。

 

声が出ない為、ボードにペンで書いて色々と看護師さんに質問をした。

・ここはどこ?→大学病院の集中治療室

・今何時?→11月26日の午前中

・駅伝走れなかった?→走る前に搬送

・なぜ倒れた?→心臓発作

 

原因不明だが、心室細動という致死性不整脈を起こしたようだ。

心室細動とはどんな不整脈ですか?|AEDで助かる命|心臓病の知識|公益法人 日本心臓財団

 

医師からはもう少し遅かったら、危なかったよと言われ、不幸中の幸いで病院近くで倒れた為、一命をとり留めた。

本当に助けて頂いた方々には頭が上がらない。

 

結果、駅伝で襷を途絶えさせてしまう事となってしまい、チームの皆んなの今までの努力を無駄にしてしまって、悔しく、情けなく、さすがにうなだれた。

皆んなが寝る間を惜しんで頑張っている姿をずっと見てきたから、余計にショックだった。

 

眠れず、痛い苦しい日々が続くが、集中治療室で5日間過ごす事となる。

 

 

次回に続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

救急搬送

2020年11月23日(月)勤労感謝の日救急搬送された。

この日は岩手県で毎年開催されている一関・盛岡間駅伝競走大会(日報駅伝)の開催日。

 

岩手県ランナー界にとって最大のイベント言っても過言ではない。

 

私も毎年出場させて頂いていて、今回で13回目の出走をする予定だった…。

 

当日の朝、いつも通りの朝5時に起床。

朝食の「どら焼き」を食べ、ユニフォームなど完璧に準備をし、後輩の車で移動。

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私は最終区(11区)を走る予定で12時前後のスタート予定だった為、前半区間を走るチームメイトの応援をしてから、スタート地点へと移動した。この間、何も体に異変は無く、いつも通りだった。

 

今大会、チームのキャプテンだった事もあり、何としても過去最高順位を獲りたい。最終区の私の所で多少遅れてきても、絶対逆転したいという並々ならぬ気持ちだった。

プレッシャーを感じていたかもしれないが、今までの競技人生で何度も経験して来たことだ。

 

スタート地点に到着し、一緒に走るライバル達と調子の探り合い…。これもいつも通り。

そしてウォーミングアップに向かった。

 

ウォーミングアップも特に体調の変わった事もなく、むしろ調子が良いように感じていた。

 

陣地に戻ろうと歩いている時、体に異変が‼︎

 

一瞬の目眩。気のせいだと思いながら、そのまま歩いて陣地へ。

陣地に到着すると、立っていられないほどの目眩に襲われて、座り込む。

目眩、冷や汗、動悸、痺れ、体が動かない、自分の体で何が起こっているのか分からなかった。

 

この時、まだ体調が良くなると信じて走る希望は捨てていなかった。

駅伝で襷が途絶えるなんて、絶対あってはならない事。

走った後なら自分がどうなっても良い、チームの為にも這いつくばってでも走りたい気持ちでした。

 

しかし10分程(時間はハッキリ覚えていない)休んでも、どんどん体調は悪化していった。

そっからはもうほとんど覚えていない。意識消失したようだ。チームメイトが救急車手配。

 

微かに記憶にあるのが、チームメイトの私を呼ぶ声と、救急隊員の叫ぶ声でした。

 

そして意識消失したまま、近くの大学病院に救急搬送された。

 

次回に続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

闘病記録

はじめまして。

 

私はランナーとして何十年も走り続けておりましたが、ある日、突如倒れました。

 

結果として心臓病【心サルコイドーシス】という難病を発症。

残念な事に、今までのようにランナーとして走り続ける事は困難となりました。

 

ICD (植え込み型除細動機)も植え込み、現在障害生活を送っております。

 

同じ病気で闘っている方に少しでも参考になればと思い、病気の状況など少しづつ更新していきたいと思います。

 

よろしくお願いします。